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報告:特別シンポジウム「情報発信・流通機能の強化に向けて-学術コミュニケーションの課題と戦略-」

  • Posted by: smine
  • 2005年2月20日 20:45
  • ニュース
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先週の17日(木)に,東京港区の日本学術会議で「特別シンポジウム「発信・流通機能の強化に向けて-学術コミュニケーションの課題と戦略-」」が開催されたが,参加したのでその模様の一部を報告する。当シンポジウムは,科学技術情報発信の問題点と科学技術情報を収集する図書館側での問題点を提起し,日本の科学技術活動の国際的な認知,評価の向上と人材や最新情報の日本に結集するための方策を議論するもの。発表者は,黒川清氏をはじめとして,各関係団体の責任者であり,シンポジウムのテーマの重要性を物語っているとも解釈できる。基調講演とパネルディスカッションの二部構成で行われた。

シンポジウムはまず,黒川氏の基調講演「学術コミュニケーションの課題と日本の戦略」から始まった。黒川氏は,世界がグローバル化する中で,「学会・学術雑誌の有様はすっかり変わっており,20年先を見据えてどう日本は戦略を立てていくかがテーマになる」と切り出した。その後,日本の研究者・学会・学術雑誌のあり方に対して極めて率直な発言をされ,最終的に1)学会への学会誌のNIIかJ-STAGEへの加入を勧める。学会への経費節減効果を明示する,2)NII, J-STAGE等の経営,営業等の透明性とチェック,結果責任。特に公的資金の使い方への監視。無駄を減らす,3)日本語の学会誌は学会独自の判断に任せ,当分は英文誌の電子化をすすめる,4)学会はあり方,会員への意義を考え,自立,自己責任で運営する,5)多くの学会は細分化せず,大きな学会への運営を収斂できる。経費節約,6)雑誌のあり方;会社,法人,財源,運絵,編集等を検討する,7)英文誌は英語圏の人たちに戦略,運営を依頼する。日本人は40%以下,8)別途,これら情報発信についての予算の枠組みを検討,五年程度予算措置する,9)場所,人ほかに,国内で運営する必要はない。コストと効果を厳しくつめるべきとまとめた。

第二部のパネルディスカッション「日本の科学情報発信・流通はどうあるべきか」は二時間半にわたって議論が交わされたが,質疑応答のみ掲載する。

質疑応答
北原氏
図書館と学会と科学者の間で新しい考え方が必要とのことだが,学会として何をすれば良いのかもう少し説明してほしい。
永田氏
冊子体が最後になって必要だという意見が出るということだが,我々の学会では逆であり,冊子体が来ることによって学会員であることのアイデンティティが逆にネガティブに作用するという意見が多かった。つまり,普段見ているインパクトファクターが高いジャーナルに比べて会員であることで冊子体が送られていることがネガティブな要因になっているのではないかという反省がある。実際昔は,雑誌が来ることによって会員であることのアイデンティティが確かめていたことが大きかったが,現在ではむしろ雑誌からジャーナルを見るということよりはほとんどがインターネットを通じて必要な情報にアクセスしているというのが現状だと思うのだが,そのときに冊子体が必要だというロジックは何か。
太田氏
新しい雑誌を作った場合に図書館との対応をとったら良いのか教えてほしい
甘利氏
自分のところも含めて,日本発信の国際的なものはみなわかっていると。しかし,インパクトファクターが今は低いという事実も厳然とある。今後どう展開していくか。例えば,日本・アジア各国が本当は,世界に出したいのだけれども,載らない。それならば,とりあえず日本初の国際誌にのせておこうと,これはいい意味も悪い意味ある。非常にアイディアを取られないようにとりあえず登録しておこうという意味では良いが,学生の練習台に使う等あるがそれをどうみるか。スタートとしてはそれで良いとは思っているが,どうお考えか。
土屋氏
学会活動の中で雑誌刊行をどう位置づけているのか,四方にお聞きしたい。欧米のかなりの学会が,実際に収入が上がっていて助かっている。研究事業等これがなければできないという学会が結構多いという中で,もしそうであるならばマーケティングをがんばらないのか,そうでなければなぜ出すのかということを伺いたい。
尾身氏
学会出版社がオープンアクセスの時代にどのように生きていこうというアイデアがあれば教えていただきたい。

会場からの質問


  • 和雑誌と洋雑誌で予算が分かれている。和雑誌に関しては,中央に予算がないと言われ,サイトライセンスが非常に難しいと言われた。こうした問題に対してどう解決するのかお聞きしたい。
  • 欧米に対してアジアの第三極として情報発信をしていくのが良いのではないという話があったが,これは願望なのか具体性のある話なのか,アジアの諸国はついてくるのか。
  • 一番の問題点は,国内の研究者の書き手の意思であり,それが今は完全に欧米に向いている。その流れをいかに止めるか,いかに電子化してジャーナルを用意してもいかんともできない点ではないか。啓蒙活動に関して抜本的にやっていかないと日本は全部外に向いてしまうのではないか。
  • アジア諸国と共同で国際誌を発行していく場合の費用の負担割合,日本のそれについて実態を教えてほしい。
  • セルフアーカイブ・機関リポジトリの可能性についてどう考えているか
  • J-STAGEにのせるということになった際,アクセス制限について議論があった。インパクトファクターを上げたいので,フリーにしたのだが,問題は会員にとってのメリット・利便性をどう保証するか。
  • 日本におけるトップジャーナルをまず考えるのは重要であるが,いろいろな雑誌がたくさんある。これらは莫大の若い修士・博士課程学生,助手や研究者に労力がかかっていると思うが,その整理はどうされるのかお考え頂きたい。

土屋氏
ご質問は整理すると,短期的にどうするか長期的にどうするかの2点になると思う。基本的に学会誌販売に学会収入を依存しているの出れば,減った分は取り戻さなければいけないということは誰も否定しない。図書館が外国の商業出版社に対して理不尽であると言ったが,払わないとはいったことはない。冊子体のキャンセル分はどうにかしないといけないとは考えるのは当然だ。和雑誌用の予算はないと言われるとのことだが,洋雑誌用の予算も実質的にないのが実態だ。図書館の予算は基本的に,雑誌用に買うという形で国立大学が文部省から色がついていただいていたお金はいっさいなく,学内で調達していた。しかし,調達していたというのも正確ではなく,ある研究室の先生がこの雑誌が欲しいと言えば買うと。図書館も主体性がなかったので,となりの研究室のとなりの先生が同じ雑誌が欲しいと言ったら買ってしまう。同じ大学が同じ雑誌を数誌買ってしまっていた。最終的に,お金の流れをコントロールしていたのは各研究者・研究室であって,そこに図書館のコントロールは及んだことは今までなかった。電子ジャーナルのための導入のお金が若干あるだけで,実際には今までお金を払っていたのは,冊子体を買っていた研究者が電子化の時代にどう考えるか,電子ジャーナルはタダだから冊子体はキャンセルしろという意見もあった。図書館として合理的に考えて,今まで同じだけ支払って同じだけの情報得るのだから,同じだけの費用負担をしてあげても良いではないかと思うが,そこのところで突然理由を変えてしまう先生方もいる。一つの大学で五誌買っていていたのだから,その分だけ払えというのも無茶な気がするが,とても払えない。そこから先は話し合いしかない。どうしたらいいのかに関しては,やはり丁寧にお話をするしかないという感じもする。


オープンアクセス
司会
商用雑誌がサービスを上手にやっている。多くの日本の学協会が海外の商用雑誌に頼って自分の雑誌を出し始めている。日本が盟主になってアジアをまとめて私たちが出してあげるという形で接近されている状況だが,それで何が問題だろうという素朴な質問がある。

土屋氏
図書館側の話としては,特に商用誌に関しては特に問題はない。電子ジャーナル化することによって,少なくとも国立大学の支出は全体としては効率の良い買い方に変わっている。学会誌関係は融通がきかないのに対して,商用誌はちゃんと融通が利いてディスカウントしてくれた。

司会
商用誌の場合,弱い学会の場合安くしてくれば,サマースクールまでやってくれて,助けてくれる。ちゃんと出すようになった段階になると,他の雑誌の何倍にもしてそこから利益を得る方針勝手医していると思うが,ある意味それでも悪くはないのではないかと思える。

土屋氏
70-90年代の生産量の増大を支え得たのは,商業的なメカニズムで一定の投資と新規分野の開拓を負担できるだけの経済的な余力をつくっていたシステムであったのは否定できない。悪の○○という感じはしない。

甘利氏
統計数理研究所の雑誌など,一応今のところは不満はない。編集権はこちらが握っているが,これでいいのかという思うこともある。

北原氏
出版を日本の中で担う人材を作っていくことは非常に重要であると思う。それを全て海外の出版社に任せてしまうのは問題だろう。日本の中で科学コミュニケーションのキャリアパスを作っておくことが,日本独自のものを作っていくときに重要だと思う。

まとめのコメント

北原氏:研究と評価は表裏一体
学会が置かれているのは「いい雑誌を出すこと」と「経営として収支を保てるか」という二点。雑誌がものの売買という商業的側面とアカデミックな側面がちゃんと整理されていない。大事なことは,研究するということは評価することと表裏一体であってきりはすことはできない。研究者というのは評価に対して十分力を尽くすべきである。そのためにはどういう情報流通があるべきか,考えていきたい。そのときに,図書館はアカデミックなところに重きを置いたときにどういう形がいいのか,土屋先生がお話しされたのだろうと理解している。

永田氏:受け皿としての日本発のクオリティジャーナルと評価制度改革は切り離せない
ジャーナルの問題はジャーナルだけを見ていては問題の解決にならないし,評価と切り離して考えることはできない。日本国内で良いジャーナルを作ることの必要性はみな感じているが,現状は追いついていない。若い研究者にまず日本の雑誌に出せとは言えない。現在のところ,善かれ悪しか,インパクトファクターが大きな評価要因になっている。レビューの評価からどう変えていくか,特に科研費・ポストの時の評価は,ジャーナル単位でのインパクトファクターで見ていくことの弊害を問いていかなければならない。しかし,これまでの基盤研究のばあい,第一審査で100件以上の応募を短期間で見させられるわけで,内容よりも論文をどこに出しているかで評価がいってしまう。そういうことを抜きにしては考えられないので,日本のよいジャーナルを出すということは,少なくとも日本の評価のシステムを変えていくこととタイトに関係しているというところから話をもっていかないと難しいだろう。
今の欧米の学際的なトップジャーナルは確かにいいわけで,学生たちも出したがるが,それに日本の科学者が知らず知らずのうちに自分たちの研究の動向を左右されているのではないか。これが日本でよいジャーナルを作っていくときに一番大事なポイントではないか。周辺のジャーナルはどうするのかという指摘もあったがこれは非常に大きな問題で,日本にあるジャーナルの数が本当にこれでいいのかということはわれわれは真剣に考えなければならない。CSFも廃刊まで決意をしたこともあったし,電子ジャーナルにするときもそうだったが,近い分野の雑誌と統合しようという話をもっていくわけだが,これがなかなか成功しない。できてしまったジャーナルはそうおいおい統合したくない。これについては,個々の学会の努力を待っていては解決しないのでかなり強力なリーダーシップのもとで,日本である特定のいいジャーナルを育てていくというプロジェクトが進行していかなければ受け皿としてのいいジャーナルは出てこない。欧米を向いているという指摘もあったが,必ずしもそうではなくて,日本によい受け皿がないから仕方なく欧米に出さざるをないのが現状である。個々の学協会の努力だけではない,それを横断的に組織化する努力がこれからのジャーナルを考えていく際に必要であり,評価とも切り離せないと指摘しておきたい。

太田氏:独自の評価基準の形成を
世界共通の問題について欧米の雑誌に出す傾向はこちらでも同様である。場の問題を扱っている研究者は世界的なジャーナルには出さないわけだから,評価をいままでどおりの形でやってもらうのは困る。われわれ自身で評価の基準を作らなければならない。オープンアクセスの問題については,ひとつの流れであり,どうするか反対ではなく,そういう方向でどうするかという方向でいま議論中である。

甘利氏:特徴のある雑誌の伝統の形成を
私も今いい論文を書いたとして,それを日本の学会誌に出すかといえば出さない。
本当は日本にしっかりとした研究者はいる。オリジナルに走ったトピックは一番多く日本の雑誌にのる。
この分野はこの雑誌に一番集まっていくという伝統つくっていくほかないだろう。
二流のアジアの論文を集めていいのかという指摘だが,このトランジェントな時代においては良い,こうして人の輪を作って,国際会議を開くことができる。これに満足しているかといえば当然していないが,ステップとしては仕方がないと思っている。

土屋氏:図書館はいつでもどこでも出かけていく
図書館のスタンスとしては,志があれば図書館にお話いただきたい。
機関購読料が決まっていないのは決定的問題。何大学がサポートすればいくらになるのか,アジア単位で維持できればよいのではないか。大学におけるお金は研究費なのだから,うまく運営していけばいいのではないかと思う。
学会の場合,会員というイメージがわいてしまうが,それ以上に現在の機関購読中心,サイトライセンスというのが,主流になっている状態では,図書館とお話いただけるのがどの雑誌にとってもプラスになるだろう。オープンアクセスを選ばれた場合には,何でもいいからお金を取得するだけの話であるから,がんばってほしい。
機関リポジトリに関しても同様なので,いままで以上に大学という単位が日本の研究のカルチャーの中で重要になってくるだろう。アメリカのフェデラルファンディングの間接経費の膨大さを考えると,日本も今後はそうした形になっていくのではないか。大学として機関リポジトリを持つことは,学術研究だけでなく教育資源をいかに社会に還元していくかを含めて,全体としてどう運営していくか考えなければいけないことだろう。図書館と大学と研究者の集団がきちっとした関係を持たなければ,役に立つ仕事をできるひとを育てることすらできない。大学という単位と図書館と研究者・学会という枠をファンダーとしての額真と学術会議も含めて,ざっくばらんに話さないといけない。図書館としては,いつでもどこでも出かけていくというスタンスであるから,声をかけてほしい。

尾身氏:学会はオープンアクセスを真剣に受け止めよ
オープンアクセスは時期尚早ではない。日本の研究者でNIHのグラントを受けている研究者が日本の雑誌に投稿しようとした場合,その雑誌が最終的に12ヵ月後に公開してもよいとしているかどうかが著者が雑誌を選ぶ基準となる。他の分野に波及しないとも限らない。セルフアーカイブを許すのかどうか,真剣に考えないといけない。流れが止められないのであれば,いかに魅力的なジャーナルになるかオープンアクセスという流れの中で知恵を出し合ってほしい。

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